Vol.83 長岡宮跡を探して 05.2.23訪問/2.28掲載
 京都の長岡八幡宮(長岡京市)では、早春の香りを漂わせ、梅が咲き始めました。地位様境内に、北野天満宮と同様、菅原道真を祀った色鮮やかな社殿がどっしり構えていました。左右には紅白の梅が彩りを添えます。
 
 ところで、「長岡京」といえば、平城京の次の都です。しかし、この都があったのはわずか10年。奈良で藤原宮跡平城宮跡と見てきた私にとって、長岡宮跡はどこにあるのか気になりました。帰り道に近くの図書館を訪ねましたが、受け取った観光パンフレットには、ゆかりの史跡は一つもありません。聞くと、なんと隣の向日市にあるというではありませんか!
 偶然バス停を見つけ、向日市方面行きのバスに乗りました。文化資料館(無料)で長岡宮の模型を見学し、歩き始めました。大通りから商店街、そして住宅地へ……。案内板もなく、頼りは大体の位置だけが書かれた地図しかありません。何度も人に尋ね、やっとたどり着いた場所は、住宅に囲まれた普通の公園でした。子供たちがブランコで遊んでいます。もし「史跡 長岡宮跡」と書かれた石碑がなかったら、見過ごしていたでしょう。ここが政治を行った大極殿の跡なのです。
 儀式を行う朝堂院跡、長岡宮を囲む築地塀の跡など、どれも住宅地の中に細切れにされ、狭い範囲に残されています。広大な敷地が今も残る平城宮や藤原宮との落差に絶句しました。
 
 桓武天皇は、都造営の責任者・藤原種継暗殺の嫌疑をかけられ餓死した弟の早良
(さわら)親王の祟りを恐れ、平安京へと遷都します。跡形もない都の風景は、その祟りなのでしょうか。いずれにしても、私に残ったのは、どっという疲れだけでした。
写真(上から)長岡八幡宮とみとー/長岡京跡の大極殿跡/長岡京跡の朝堂院跡