Vol.56 吉野山 破れし者の物語
04.8.8訪問/8.17掲載
 近鉄電車はやがて鉄橋に差し掛かりました。突然目に飛び込む吉野川の流れと小高い山。一気に心が和みます。歴史の舞台に何度も登場する吉野山の歴史をたどりました。

 奈良時代、大海人皇子が世継ぎ争いを避け、一時身を隠したのが吉野でした。壬申の乱の後、天智天皇となりますが、その後は悲しい物語ばかりです。
 源義経が、兄・頼朝から逃れてきたのも吉野。弁慶とともに身を潜めた「義経隠れ塔」が、金峯神社境内の山中に、ひっそりとたたずんでいました。
 都を追われた後醍醐天皇は、吉野に南朝を開きました。その天皇をかくまったのが吉水神社。小さな社殿の中に、天皇の玉座があります。その天皇をしのんで建てられたのが吉野神宮です。北向きの本殿は、京を恋しく思う天皇の心を表しているそうです。広々とした境内でしたが、ほかに人の姿はなく、静まり返っていました。
 吉野水分(みくまり)神社は、分水嶺を祀ります。子宝の神様としても知られ、豊臣秀吉も参拝し、秀頼が誕生したそうです。本殿は秀頼の再建ですが、彼の最期も哀れでした。
 最近では、映画「ラスト サムライ」で、侍たちが散っていった国。架空の国ですが、その名は「吉野」でした。
 
 華々しい歴史の裏にある悲劇。吉野はすべてを受け入れ、最後の輝きを与えてくれる底しれぬ力強さを持った場所なのかもしれません。
(金峯神社、吉水神社、吉野水分神社は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です)
写真上から)吉野水分神社とみとー/金峯神社/吉水神社/吉野神宮