Vol.40 高野山、そこは霊山だった
04.4.24訪問/5.24掲載
 今夏、日本で12番目の世界遺産として、「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録が有力視されています。対象は、高野山、熊野三山、吉野・大峯、これらを結ぶ参詣道です。高野山を開いた空海は、私と同じ四国出身。高野山とはいかなる山か、確かめに行きました。

 高野山へ通じる道は、空海が母親のために建てた慈尊院(九度山町)から続いています。実際に空海がたどった道で、一町(108m)ごとに道標として石の塔婆が立てられ、町石道と呼ばれています。巡礼者は一つ一つに手を合わせながら、高野山へと上ったそうです。車で行ける現代は、味気なく、ありがたみも半減しているように思いました。
 町石道は、真言密教の道場である壇上伽藍に続いています。青空を従えて堂々とそびえる朱色の建物は根本大塔。ここを中心にいくつもの古びた塔やお堂があります。お堂の中には、すべて違った仏像が安置されていました。
 真言宗の総本山、金剛峰寺。豊臣秀吉が母の菩提供養のために建立した寺で、中庭の枯山水は、二匹の龍を表し、四国産の石が使われていました。

 奥の院では、杉木立の参道を歩くこと30分。高野山の霊力のすさまじさを目の当たりにしました。両側には、大きさや形、時代までも様々な数十万の墓石の数々。拝殿の前には橋がかけられ、撮影禁止の聖域です。木々の間から差し込む光で拝殿が白くかすみ、一際強い霊気を感じます。拝殿の中には、無数の灯篭が並べられています。そこで見たものは、人々の信仰でした。ほとんどの人が、手を合わせ、お経を唱え、心から祈りをささげています。空海の開いた高野山は1200年近くたった今でも、活きた祈りの山だったのです。
 これこそが、世界に誇れる日本宗教の姿だと実感しました。
写真(上から)高野山町石道/高野山の壇上伽藍とみとー/高野山の奥の院(聖域の手前)