Vol.39 三十三間堂と秀吉の足跡
04.5.2訪問/5.11掲載
 ゴールデンウィークの真っ只中、京都にやってきました。バス乗り場には長い列。さすが京都は大人気!! 今日は、豊臣秀吉ゆかりの場所を訪ねることにしました。

 最初は智積院
(ちしゃくいん)。秀吉が、3歳で病死した愛児・鶴松を弔うために建てました。中に入るなり、緑鮮やかな庭園の美しさに息を呑みました。いくつものサツキの刈り込みが大きな山を築き、ちらほら咲き始めた花がアクセントになっています。手前の池は、縁側のすぐ下まで続いていて、見ている私までも庭園に組み込まれているようです。
 すぐ近くに、三十三間堂があります。柱が33本あることが名前の由来です。薄暗いお堂の中には、黄金に光り輝く千手観音、1001体がびっしりと整列し、圧倒的な力で仏の世界を創り出しています。いつしか言葉を忘れて、一つ一つに見入っていました。顔や体の彫り方が微妙に違います。気がつくと1時間以上もかかっていました。そして、あまり注目されていませんが、境内には桃山時代の大門と太閤塀があります。秀吉が建立した方広寺の一部だったことを示しているのです。


  方広寺は、東大寺の大仏よりも大きい仏像を安置した大仏殿があったお寺です。しかし、地震で大仏は破壊され、大仏殿も落雷で焼失しました。今は狭い敷地に、梵鐘が当時を偲ばせています。その鐘には、写真を拡大してやっと分かる大きさで、「国家安康」「君臣豊楽」という文字が彫られています。これが豊臣家が滅ぶきっかけだったなんて、何ともむなしく、悲しい結末です。
写真上から)智積院の庭園/三十三間堂とみとー
/方広寺の鐘(左は「国家安康」「君臣豊楽」の文字)