Vol.17 走って走って…山焼き 04.1.11訪問/1.11掲載
 小雪もちらつく、さむ〜い一日。朝は平城宮跡で開かれた平城京新春マラソン大会に挑戦、夜は若草山の山焼きで図らずも走る羽目になり、世界遺産を走る一日となりました。

 5kmの部に参加しました。私のマラソン歴は、1年ほど前の世田谷区民マラソン(5km)以来、全くトレーニングしておらず、かなり不安。前から3列目に陣取り、スタートしましたが、予想通り、次々と追い越され、いつしか後ろから数えたほうが早い順位に。記録はあきらめ、ふと遠くの景色に目をやると、周囲の山々が稜線まではっきりと見えます。風も気持ちよく、世界遺産の地を駆けていることに、喜びを感じました。途中、子供の太鼓や地元の人の声援などもあり、見事完走。32分と、決していいタイムではありませんが、気分爽快でした。

 そして、夜は新春のビッグイベント、若草山の山焼きです。休む暇もなく、この一部始終を見ようと、若草山に登りました。普段は人が入れない場所に、観客がぎっしり押し寄せていました。
 山焼きは、江戸時代に、東大寺と春日大社・興福寺の境界線争いで奈良奉行が仲裁に入り、境界をあいまいにするために始められたそうです。午後5時すぎ、春日大社から持ってきた火を、山伏姿の奈良法師たちがたいまつにして運びます。いい写真を撮ろうと先回りをするため、階段を走って登りました。午後6時、300人の消防団によって、背丈まで伸びたススキでいっぱいの山に、一斉に火が放たれました。時折吹く突風に、火は勢いを増し、もくもくと立ち昇る黒い煙とともに、火の粉が降ってきます。間近で見ていた私の方にも熱が伝わってきました。

 江戸時代から伝わる山焼きに、改めて奈良の歴史の偉大さを肌で感じました。
写真(上から)マラソンでゴールするみとー/平城宮跡から見た若草山の山焼き(多重露光)
/たいまつを運ぶ奈良法師